なぜひとはもめるのか?


ひとが集まると必ずいさかいや、意見の不一致がうまれます。

ひとは自分でこうだと思ったことを、

自分が絶対に正しいと思うことなかなか捨てることができません。

例えば、意見をかえるというのは、今までやってきたことをすべて否定しなくてはならないからでしょうか?

自分のやり方よりももっと早く解決する方法があれば、それを知らなかった自分は割りに合わないことをしていたと認めることになってしまいます。

さらに、ひとには、コストをかけてきたものを、本来よりも価値があるとみなしてしまう性質があるそうです。それはコンコルドエフェクト、埋没費用効果などともいわれています。

しかし、本当に合理的、最も得するやり方を将来選ぶためには、今までにかけたコスト=埋没費用(サンクコスト)を気にしてはほんとうはダメで、機会損失=新しいやり方を試さなかったことによる損失、を常に気にし続けて、変化し続けなくてはなりません。



しかし、新しいやり方を習得するにはもちろん時間をかけなくてはならないし、恐怖、抵抗を全く持たずにいるのはとても難しいことです。結果が分かっている、ある程度予想できた方がひとは安心できます。

また、本当に価値があると分かっていても、それを手に入れるのが困難だと思うと、無理やり価値がないのだと思い込むようにプログラムされているようです。

それはフロイトも防衛機制という名前でよんでいたし、イソップ童話では酸っぱいブドウという話として残されています。

そういった性質をもっているためか、ひとは自分の意見ややり方に固執するし、なかなか他人の意見がすぐれていてもみとめたがらず、自分のまちがいをみとめたがりません。

こういった生まれつきの性質を綺麗さっぱりなくすことは難しいかもしれません。

そんな自分たちの不合理な性質を受け入れた上で、他人の意見を否定してしまいそうになったとき、いちど立ち止まって自分がどこかで、合理的でないことを言っていないか確認し続けなくてはいけないのかもしれないなと思いました。


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